函館開港150年ということで、一つの企画が立ち上がりました。国内最古 のラーメン復刻。そう、実はラーメンは函館のものが国内最古でした。そ して「ラーメン」と名付けたのも、札幌市の中華料理店でした。ご存じで したか?
日本最古のラーメンは函館
かつて、国内最古のラーメンは東京都浅草「来来軒」で出されていたラ ーメンだといわれてきましたが、近年、その定説が覆されました。来来軒 は1910年にラーメンを出し始めたのに対して、函館は26年も前でした。 しかしながら、文献は1つしかありませんでした。
その唯一の手がかりというのが、函館新聞に掲載されていた広告だけだ そうで、当時のラーメンを復元するのは困難を極めました。その広告は、 明治17年(1884年)4月28日(月)付の函館新聞の広告で、中華料理店「養和軒」 が「南京そむ(そば)15銭」(現在の価値では2000~3000円)と記述していま した。以下が当時の広告。
<南京御料理>
一 上等御壹(壱)人前金壹(壱)円
一 中等同 金七十五銭
一 下等同 金五十銭
一 南京そむ同 十五銭
一 南京茶同 金五銭
一 南京菓子 壹(壱)ツ 壹(壱)銭
外ニ鳥獣肉南京風ノ焼肉拾銭ヨリ
一 極上等料理付テーブル(十二人前)壹(壱)■
船場町七番地<養和軒 アヨン>
どうして中華料理店が函館にあったのかというと、中華会館があったこ とからもわかるように、箱館港が開港され、華僑が函館に多く住むように なりました。そんな中の一人が中華料理店がないことを残念に思い、中華 料理店を明治15年(1882年)1月にオープンさせたというわけ。
店は木造二階建て洋風造り(現存しません)。この店の店主は「アヨン」 (正式名:陳南養)という人で、広東省出身。箱館イギリス領事館専属料理 人としても活動していました。
当時の文献はこれくらいなので、日本最古のラーメンを復刻するのは大変 で、当時調達できる食材と価値などもあわせて検討し、麺は全粒粉を使用 して小麦粉100%に、スープは鶏100%、チャーシューにも鶏肉、ホウレンソウ、 トッピングに銀杏、錦糸たまごを使用して復刻しました。
ラーメンの語源、日本最初のラーメン
さて、当時はラーメンのことを「南京そば」「支那そば」などと呼ばれ ていましたが、いつから「ラーメン」になったのでしょうか。その言葉の 発祥地は何と札幌でした。
大正11年(1922年)、札幌の北海道大学正門前にある本格的な中華料理店 (大正10年(1921年)10月オープン)でラーメンが登場しました。店名は「竹 家食堂」。ここで料理長「王文彩」が「肉絲麺(ロースメン)」を作ってい ました。
当時から人気メニューでしたが、名付け親となった女将・大久タツが、 支那そばといった名称が差別的用語であることに心を痛め名前を変えようと しました。
店内に響いていた「好了(ハオラー=できました)」の「ラー」と、「拉」、 つまり引っ張って麺を作る動作をかけあわせて、「拉麺(ラーメン)」と命名 し定着しました。大正11年(1922年)6月のことでした。
こうして日本最初の”ラーメン”が出され、大正13年にはどんぶりを 中国から取り寄せ国内で作らせて、龍の模様を使ったラーメンどんぶりを 考案、これが札幌市内のラーメンの原点となりました。
そんなわけで、歴史的に見ても、北海道はラーメンの発祥地としてふさ わしい地であることが分かります。