道東の根室と釧路の間に位置する「根釧台地」。いまや国内最大とも いえる酪農地帯でありますが、それは国家プロジェクトによる土台の上 になりたっています。
根釧台地のパイロットファームとは
明治時代の開拓期に入植した人たちは、地域の冷涼な気候のため作物 栽培よりも、牧畜を始めました。根釧台地の別海では1884年には牛乳生 産を開始しています。ほかに馬産地としても成長していましたが、パイ ロットファーム計画を含め、戦後の機械化で衰退していきました。
一方、道庁は酪農を推進。1933年には根釧原野における農業開発5ヵ年 計画が立ち上がり、ここで根釧台地の主生産が酪農中心となりました。 ここを境に飼育乳牛頭数も大幅に増加しました。
1955年、この地域に新しい波がやってきました。1954年に酪農振興法 により集約酪農地域になったばかりの根釧台地で行われるパイロットファ ーム計画です。パイロットファーム(pilot farm)とは、実験農場という 意味もあり、近代的な機械を使い、大規模酪農経営を展開するという、 いわゆる酪農先進地帯。正式名称「根釧機械開墾地区建設事業」。
これは北海道、北海道開発局、農地開発機械公団の3機関によって進め られたプランであり、それに必要な巨額の費用は世界銀行の融資により 調達されました。この建設事業のため合同庁舎を設け、インフラ整備を 北海道開発局、牧草地転用や乳牛調達を農地開発機械公団、酪農家への 指導を北海道がそれぞれ役割分担を決めて行っていました。
ただでさえ広大な根釧台地。1農家あたり面積約15ヘクタール、飼育乳 牛頭数は10頭。レンガ造りサイロあり。1964年までに合計361戸が酪農の ために入植し、乳牛飼育頭数は万単位へと急増しました。しかしその影 には、経営難に陥って破綻していく農家も存在していました。
新酪農村の誕生
根釧台地の酪農の基礎を築いた国営根釧パイロット事業は、1973年から 始まった新酪農村建設事業にとってかわられました。こちらも国家プロジ ェクトのひとつであり、1983年まで続きました。合計222戸を建設。1農家 あたり面積約50ヘクタール、飼育乳牛頭数は約70頭。その象徴は大きなノ ッポのサイロ。こうして、より大規模な酪農地帯へと発展を遂げていき、 現在にいたります。
現在は国内一といわれる牛乳生産量。明治・森永・雪印といった主要乳 製品会社の工場が別海町にはあります。乳牛はたとえば別海町の場合11万 頭おり、町民の数をはるかにしのぐ頭数です。日本離れした広大な酪農地 帯は、根釧台地ならでは。新酪農村展望台は、その地域の北海道らしい景 観を高台から望むことができる隠れたスポットです。