世界三大夜景のひとつとして名高い函館山(函館市夜景)。いまや観光スポットとして脚光を浴びていますが、その歴史はあまり知られていません。
函館山とは?
函館市市街地の先端にある津軽海峡に突き出した山です。陸繋島(りくけいとう=本土と島が陸続きになった地形)。標高は334m。周囲の長さは9km、面積326haにもなります。きれいな三角形ではなく、牛が横たわっている姿に似ていることから、別名臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれます。
かつて火山でした。3000年程前までに、亀田川や津軽海峡から土砂を運んできて、陸続きとなりました。通常山頂といっている展望台のある山は御殿山といいます。なぜかというと、山麓に箱館という城を築いたから。
他にも薬師山(252m)、つつじ山(306m)、汐見山(206m)、八幡山(295m)、水元山(280m)、鞍掛山(113m)、地蔵山(286m)、入江山(291m)、エゾダテ山(129m)、観音山(265m)、牛の背山(288m)、千畳敷(250m)といった、13の山からなっています。
今は緑豊かな山ですが、松前藩が燃料として使用するために乱伐したため、一時はげ山になりました。そのため1800年代に入り、倉山卯之助(くらやまうのすけ)などが植林を行い、現在にいたります。1854年のペリー来航時にはモローやウィリアムズが函館山を中心に植物採集をしました。ペリーは、函館山をジブラルタルの岩山のようだと表現しました。
函館要塞(津軽要塞)、地図から消えた函館山
1898年から、当時国内最大の造船所を擁する重要拠点、函館港を守るために要塞施設を築き始め、フランス技術の力を借りて4年をかけて5箇所の施設を構築、ほぼ完成しました。建設前の標高は348mでしたが、建設後335mになりました。要塞地帯法施行により、函館山は一般人立入禁止となりました。函館山測量や、少しでも撮影・スケッチすることも禁止でした。
山全体が要塞という軍事施設になり、国家機密の地となったため、1899年を境に、一般の地図から函館山が消えました(真っ白だけで他にはなにもない)。その後、津軽海峡の防衛のため、北海道側の汐首岬と白神岬、青森県側の大間岬と龍飛岬とともに、津軽要塞に編入されて強化されることになりました。
太平洋戦争のとき、米軍から攻撃された際に、函館山砲台の力を発揮するときでしたが、時代遅れの兵器で役に立たなかったようです。太平洋戦争が終わるまでに、コンクリートやレンガで作られた77箇所もの施設が構築されたとされています。以下は、函館要塞を構成する5施設。
御殿山第一砲台……函館山展望台のところ、展望台拡張などで一部損
失したが、山頂駐車場の真下などに現在でも地下遺構が残されている。
御殿山第二砲台……函館山山頂近く。
千畳敷砲台
薬師山砲台
立待堡塁
動画(ムービー)
一般開放のとき、一大観光名所へ!
太平洋戦争が終わった1946年5月。函館山の要塞は米軍により破壊され、47年ぶりに一般開放が始まりました。結局そのほとんどが未使用のまま終戦を迎えたことになります。1953年には函館山山頂までの道路が開通、市営バスが、完成していた9合目まで運行を開始しました。翌年には展望台が完成しました。
函館山要塞時代があったことで、自然が守られました。立ち入りが厳しく規制されていたため、森林保全が進みました。現在では、600種類の植物、150種類の野鳥が生息する豊かな自然の山となっています。
1957年には新日本百景で全国一位。1958年にロープウェー開通。山頂からの美しい景色をより手軽に楽しめるようになりました。1962年には鳥獣保護区、2年後に鳥獣保護区特別保護地区に指定されました。さらに1968年には北海道の美林にも選ばれています。
こんな歴史を持つ函館山と砲台跡は、近代軍事施設の砲台跡や発電所や観測所という貴重な遺構であることから北海道遺産に選定されており、修復作業も行われています。