【北見市】北見の街中を、約2kmに及ぶトンネルが通っていることをご存知だろうか。特急オホーツクなどでJR石北本線を利用した方ならご存知かもしれない。北見駅の西側が地下、北側が高架になっていることを。実は、北見駅西側の「北見トンネル」は、日本初と日本最北の”称号”を持つトンネルなのだ。
北見中心部は平地にある。当然ながら、敷設当初は北見(旧称:野付牛)駅周辺の鉄道は平地を走っていた。市街地も駅前だけであった。しかし、住宅地が西側・南側にも拡大するにつれ支障が出てくる。鉄路によって市街地の分断が生じ、交通渋滞が常態化したのである。(地図:国土画像情報(カラー空中写真)1977 国土交通省)
とりわけ、北見駅南側の鉄道カーブと、現在の国道39号線の複雑な交差点が重なっていた。国道の踏切が車や人の交通が集中する交差点近くにあったため、北見随一の渋滞地として、また事故の多い箇所として知られていた。早期に立体交差化する必要があったが、道路区画上陸橋化が困難であること、騒音や冬季の積雪の問題もあり、結果、地下化が選択された。
1973年、鉄道を地下化する連続立体交差事業を道が実施、着工した。工事は、単線型鉄筋コンクリート箱型断面によるトンネル1320m、出入口シェルター部分780m(北見駅側のほうが短く急勾配)、合計2100m区間が地下化の対象となった。これにより、北見駅西側の9カ所の踏切を撤去することができたし、シェルターにかかる道路については陸橋化した(鉄南跨線橋・高栄通跨線橋)。総事業費は約56億円で、着工から4年後の1977年9月18日に北見トンネルは開通した。これは、地下化連続立体交差としては日本初のことであった。また同時に、市街地における日本最北の地下鉄道トンネルとなった。
現在、トンネル上は緑地帯「石北大通公園」となっており、この地域で活躍したSL等の静態展示もなされている。D51-444、C58-119、赤い色のDB12貨車移動機が並んで展示されている。また、トンネル中央部には換気施設の点検用階段もあり、非常時に使用される。地方都市としては珍しく、早くも1977年に地下化され、この下を汽車が走っていたのだから驚きだ。