「箱館」が「函館」に変わったのはいつ? 漢字変更の謎に迫る

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道民や歴史に通じている方ならご存知だろう、函館がかつて「箱館」表記だったことを。箱館戦争、箱館奉行所、箱館裁判所、箱館県、箱館府など、歴史的にみれば旧名「箱館」が使われている例も目立つ。しかし、今は歴史的イベントなどを除けばほとんど使わない。では、いつから「函館」に変わったのだろうか。疑問に思ったことはないだろうか。

函館市というよりも北海道全域・道南全域に及ぶ広域行政時代も含むが、以下の役所の「箱館」から「函館」への名称の移り変わりに注目いただきたい。

箱館奉行:享和2年(1802年)5月~ 2月に箱館に設置された蝦夷奉行が前身、後に松前奉行に改称
箱館奉行(二代目):安政3年(1856年)箱館に設置
箱館裁判所:慶応4年(1868年)4月、箱館奉行所を引き継ぎ箱館府へ引き継ぐ
箱館府:明治元年(1868年)~明治2年(1869年)7月。蝦夷地統治のため箱館に設置、箱館県に改称後、開拓使の設置で廃止
開拓使出張所:明治2年(1869年)9月~明治4年(1871年)5月に箱館に設置
函館出張開拓使庁:明治4年(1871年)6月、開拓使出張所を改称
開拓使函館支庁:明治5年(1872年)9月~明治15年(1882年)2月
函館県:明治15年(1882年)2月~明治19年(1886年)1月、廃使置県・三県一局時代

ポイントは、明治4年(1871年)には「函館出張開拓使庁」という名称になっており、それ以降「函館」が用いられているということだ。ということは明治2年から4年までのどこかで改称されたのであろうか。実際、明治2年に開拓使出張所が箱館に設置された時に書かれた記録から、明治2年9月に「函館」に改称することになったという記述が見つかっている。理由は不明だ。

開拓使事業報告:「明治二年本出張所を置き箱館を函館と改む」とあるのをうけて、「九月三十日開拓使出張所を函館に置く、箱館の字を函館に改めたるは此時なり」と記載(函館区史)

要するに、9月30日に函館に開拓使出張所を置く時が改称の時だと書いている。このように、明治2年(1869年)9月30日に函館に開拓使出張所が置かれ、開拓使が北海道での活動を開始した日に改称されたということができる。しかし7年後、明治9年(1876年)4月24日付で開拓使函館支庁が開拓使東京出張所へ上申書を書き送った中からも、その後もまだ「箱館」「函館」が混用されていたことが伺える。

4/24付東京出張所への上申書:「函館の文字本使中発行の公文上には函の字のみ相用、既に印章等も函の方にて彫鐫相成居候処、他官省よりの往復書は勿論太政官日誌等印刷の書中別帋抄出の通、或は函を以てし或は箱を用ひ一定ならす、右は別段何れを用ゆる旨御達無之共無論函を以正と致候義と心得可然哉」
5/8付東京出張所の回答:「御来意の通函の字に一定致候方可然候」
5/31付函館支庁→札幌本庁へ申し入れ

要するに、開拓使は「函館」を使ってきたが中央官庁では混用しているので「函館」で統一してはいかがかという内容で、東京からの回答も開拓使函館支庁の考えを支持している。明治2年(1869年)に開拓使のほうが改称を宣言し専ら「函館」の字を使っていたとはいっても、その後しばらくは地元住民や、中央官庁の公文書の中でさえ「箱館」「函館」が混用されていたというわけだ。

このように、明治9年(1876年)5月に念押しの形で明確に統一されたと言えるのだが、正確にはその前の明治2年(1869年)にすでに改称の旨の記録があるため、結論としては「明治2年(1869年)9月30日が函館への改称の日」というのが正しいと言えそうだ。函館市史の中でもその点を裏付けている。ただ、その後すぐに地域に浸透したかは定かではないらしい。