旭川市旭山動物園のオオカミの森
北海道にもかつてはオオカミが生息していました。名前は「エゾオオカミ」で、樺太や千島にも生息していました。本州以南では「ニホンオオカミ」が生息していましたが、国内からはともに野生のオオカミは絶滅してしまいました。
エゾオオカミ絶滅の理由
アイヌの人からはエゾオオカミも同様に「カムイ(神)」と呼ばれてきました(ホロケウカムイ)。絶滅の主たる原因は、明治時代に北海道に入植してきた人々です。発端は和人によるエゾシカ乱獲です。毛皮や食肉のためです。
これが、エゾオオカミに影響を及ぼし始め、えさが少なくなったオオカミたちは、今度は家畜を狩猟するようになりました。こうして、人々は「エゾオオカミ=害獣」と認識するに至りました。
明治時代に北海道で活躍したエドウィン・ダン氏は、エゾオオカミ駆除に乗り出しました。餌に毒(硝酸ストリキニーネ)を盛り、1876年から1888年にかけての12年間は高額な懸賞金(1頭につき10円)までかけて、駆除活動が全道で行われました。
結局、1879年冬に発生した大雪による大量餓死といった悪環境も重なり、1889年に確認されたオオカミを最後に絶滅し、商人が毛皮を扱ったのも1896年の記録を最後に途絶えました。報奨金制度開始からわずか十数年の間の出来事でした。
1876年 政府による報奨金制度スタート、1頭2~10円(2、7、10と徐々に引き上げられた)
1879年 大雪によりエゾシカ大量餓死、従ってエゾオオカミも大量餓死
1888年 政府による報奨金制度廃止、12年間で1539頭駆除の記録が残る(記録外を含むと3000頭)
1889年 最後の1頭が確認される
1896年 函館の毛皮商人松下熊槌による最後の毛皮輸出
絶滅による”二次災害”
オオカミは北海道において、食物連鎖のピラミッドの頂点に位置してきました。主にエゾシカがえさでした。しかし、オオカミが絶滅してしまったため、エゾシカが急増しています。さらにエゾシカの増加により樹木への被害が多くなってきています。
現存する剥製標本としては、世界唯一、北大農学部付属博物館にある確認済み2体のみですが、頭骨は新ひだか町の資料館、大英博物館にあります。写真は残されていません。近年、再導入の話も出てきています。海外では成功例もありますが、国内、道内でも実施されるかどうかは未定です。