小樽はなぜガラス工芸が盛んなのか

 世界や国内に比べるとガラスの歴史は長くはないけれども、近年北海道
のガラス製品は人気急上昇中です。北海道観光土産品協会が2006年に23年
ぶりに観光客アンケートを行ったところ、購入する土産品のトップが、か
つて人気を博した木彫民芸品からガラス製品へシフトしていることが判明
しました。北海道で硝子(ガラス)といえば小樽市です。

アイヌ玉

 その前に、アイヌの人たちも使用していました。交易で手に入れたりし
て、タマサイ(首飾り)として用いられていたようです。かつてはアジアか
らサハリン経由で、江戸時代になると、蝦夷地でのアイヌとの交易用にア
イヌ玉と呼ばれるものが作られるようになりました。

小樽の成長と共に育ったガラス産業

 いまやガラスの町として有名になった小樽では、19世紀後半以降人口が
増加し、北のウォール街といわれる北海道の経済の中心地、また、国際貿
易港となりました。ガラス産業が始まったのもその頃。

 当時は夜の灯り代わりであった「石油ランプ」、ニシン豊漁の時代だっ
たためニシン漁に使うために開発された「ガラス製浮き玉」(ブイ)を中心
に生産していました。これが現代の小樽のガラス工芸技術の流れのはじま
りでした。特にガラス製浮き玉はいまでも道内各地の漁村で見られたり、
浜に打ち上げられたりしています。ときに、ネットに吊り下げられたサッ
カーボールのように、網に包まれてつられていたりする光景を見ます。

 そんなガラス製造店のひとつが「浅原硝子」でした。大阪でガラス製造
を学んだ創業者が1901年に小樽に来て開業した製造所です。当初石油ラン
プを、1910年から浮き玉製造も始め、その後瓶生産もしました。1940年代
に最盛期をむかえ、小樽のほか、室蘭、旭川、釧路、樺太の5箇所に工場を
持つほどになったようです。

 この浅原硝子店が現在有名な「北一硝子」です。1971年に社名変更しま
すが、ガラス製ブイからプラスチック製ブイに、石油ランプから電気に取
って代わり、売上激減。というわけで、生活必需品・実用品としてのガラ
ス製品の時代は終わり、グラスなど工芸品を生産する時代になっていきます。

ガラス工芸のスタート

 観光客向けガラス工芸の先駆けといわれるのが、小樽の北一硝子と札幌
の豊平硝子。豊平硝子の創業者はもとは小樽で修行した人。この硝子工房
も浮き玉製造を中心として釧路、札幌で生産しました。さらにこの工房か
らもお弟子さんをたくさん輩出し、現在も道内各地で活躍しています。

 ガラスに色をつけたり、おしゃれな形にしたりした斬新なデザインの小
樽のガラス工芸品は次第に観光客に浸透していきました。その陰には、若
手ガラス職人の誘致、観光客用ギャラリーや美術館の開設、石造倉庫を再
活用した店作りで歴史的景観作りにも寄与したり(1983年開設の北一硝子
三号館)と、様々な努力がありました。近年では小樽にやってくるガラス
製造会社もあり、たとえば深川硝子工芸では小樽切子を考案して製造して
います。

道内のガラス館

 小樽には北一硝子や北一ヴェネチア美術館のほか、小樽運河工藝館、大
正硝子館、ザグラススタジオインオタルなどなど、ガラス工芸品ショップ
や体験コーナーが密集している全国有数の地。江別市にはガラス工芸館、
稚内市には北緯45度北のガラス館、函館市にはザ・グラススタジオイン函
館、はこだて明治館ガラス工房などがあります。