榎本武揚没後100年の2008年。江戸時代末期の箱館戦争において旧幕府軍
を統率した人物です。箱館戦争時箱館占領の一時期だけ、蝦夷地と呼ばれた
北海道にだけ、本土の明治政府とは異なる新政府が存在していました。
簡単な年表(出来事の流れ)
10月23日 鷲の木に上陸
10月26日 五稜郭無血入場
11月 1日 箱館に開陽丸到着
11月 5日 松前占領
11月15日 開陽丸が江差沖で座礁沈没
11月22日 神速丸が江差沖で座礁沈没
12月15日 箱館占領、五稜郭凱旋、蝦夷地領有宣言
箱館政権入札(選挙)実施
明治二年 4月16日 明治政府軍が松前奪還
5月11日 箱館湾海戦、土方歳三戦死
5月18日 五稜郭開城降伏、箱館戦争と蝦夷共和国終わる
蝦夷共和国という名称
元号でいうと明治時代(明治時代は1868年1月25日に始まりました)、明
治元年12月15日、西暦では1869年1月に誕生した新政権のことです。箱館
政権ともいわれますが、榎本武揚は独立国家と宣言したわけではありません。
この名称を考え出したのは英国人アダムズといわれています。1868年11
月4日に、イギリスフランスの両国軍艦がアダムズとともに箱館に入港し
ました。入港後「事実上の政権(Authorities De Facto)」と書いた覚書が
送られました。これに基づき、アダムズが少し後に書いた書の中で「共和
国(Republic)」と箱館新政権を指して用いています。このことから「蝦夷
共和国」なる言葉が広まりました。
蝦夷共和国の取り組み
新政権ということで、いわば”国旗”ともいえる旗が考案されました。
青に黄色の菊花紋、そして重ねて頂点が七つある赤い星です。本拠地とし
て五稜郭が選ばれました。
また、国内初の公選入札、つまり選挙が行われました。アメリカの政治
に倣ったものでしたが、一般住民が参加できたわけではなく、士官以上と
いうのが資格でした。総裁にはもちろん榎本武揚を選出しています。閣僚
として9の奉行、3の奉行並が設置されました。
副総裁 松平太郎
各奉行 海軍奉行、陸軍奉行(陸軍奉行並)、会計奉行、開拓奉行、箱館奉行(箱館奉行並)、松前奉行、江差奉行(江差奉行並)
※ちなみに、有名な土方歳三は陸軍奉行並。また、ほかに元フランス軍のフランス士官隊も加わった
蝦夷共和国は財政難が問題となっており、住民への税負担を増大させて
いったため、反感を買うようになりました。建築としては、四稜郭が箱館
に建設されたなどがあげられます。
破滅へのロンド
蝦夷共和国は強いはずでしたが、12月27日、江差で国内最強軍艦開陽丸
が沈没してしまったのがはじまりでした。その後、明治新政府に圧倒され
るようになります。他の要因としても、諸外国が明治政府を日本唯一の政
権として支持するようになったこともあげられます。
明治2年5月11日には土方歳三が戦死、5月18日には五稜郭を開城、降伏、
戊辰戦争そして箱館戦争が終わり、ともに蝦夷共和国も消滅しました。
その政権の存在期間はわずか5ヶ月間でした。戦時下にあり、まともな実
績を残すことなく崩壊しました。
榎本武揚は投獄された後、明治政府の元で北海道の開拓を指導する立場
で働くことになり、1908年になくなりました。