【八雲町】八雲町山越には、江戸時代に函館から移設された日本最北の関所「山越内関所」があり、蝦夷地と和人地の境として、通行の取り締まりなどを行う地点になっていました。現在は、関所のイメージの外観を持つJR山越駅があり、国道5号線を往来する車の休憩スポットにもなっています。
江戸時代後期の日本最北の関所
江戸時代後期の1801(享和元)年、現函館市内の亀田から移設された「山越内関所」は、1861(文久元)年に廃止されるまで、日本最北の関所としての存在。現在の山越はかつて「山越内」と呼ばれ、アイヌ民族が暮らす蝦夷地でした。蝦夷地と和人地(日本民族が暮らす土地を指した言葉)の境として、和人が蝦夷地に入る取締業務をしていたのが山越内関所。業務を行っていた主体は、松前藩の時期と江戸幕府の時期がありました。
江戸時代末期には、蝦夷地開拓の障害となっているとされる制度が廃止されていき、その中で山越内関所も廃止され、往来が自由になったそうです。
JR山越駅は関所のイメージを再現!
関所があった場所には、「山越内関所之跡」と刻まれた石碑が建っています。その地点から100mほど八雲の市街地寄りの地点にあるJR山越駅は、全国的にも珍しい関所をイメージした外観。同じ敷地内にあるトイレも和風のつくりで、国道5号線を走る車の休憩スポットにもなっています。山越駅は無人駅で、駅舎内には、江戸時代に描かれた関所周辺の様子の絵図や、それを再現した模型も展示されています。
▼JR山越駅ホーム(奥が函館方面)
▼山越駅のトイレ
関所の番人を恐れさせたという「夜泣き石」
国道5号線に面する山越内関所跡の石碑前には、「夜泣き石」と名付けられた大きな石が置かれています。関所があった時代に、罪人を切るときに腰かけさせたという石。真夜中に泣き声を上げて関所の番人を恐れさせたという伝説があります。
松前町郷土資料館によると、実際には、関所の往来に関して違反があった者については「捕えて松前藩に通報すること」が関所の役割。関所に刑を執行する権限があったかどうかも定かでなく、真相はわからないそうです。
八雲PAに隣接の「噴火湾パノラマパーク」とも近距離
山越内関所跡とJR山越駅は、屋内外のレジャーや休憩を楽しめる「噴火湾パノラマパーク」の駐車場から5分かかるかかからないかの場所。噴火湾パノラマパークは道央道八雲パーキングエリアと隣接していますが、函館から札幌方面に向かう下り線の駐車場からは、パノラマパークの駐車場には車で抜けることはできないのでご注意を。パノラマパークからJR山越駅までの距離は2kmほどです。
▼山越内関所跡
北海道二海郡八雲町山越207-1
▼JR山越駅
北海道二海郡八雲町山越241 [地図]