【木古内町】多くの遺跡が存在、発掘されている木古内町に、2015年3月16日、待望の郷土資料館がオープンしました。その名は『いかりん館』。幕末の軍艦「咸臨丸」のものと推定されるイカリが展示された木古内町の歴史を学べる新しいスポットを、早速訪ねてきました。
廃校となった小学校校舎を利用した『いかりん館』
木古内町初の郷土資料館『いかりん館』は、2011年春に廃校となった鶴岡小学校の校舎を利用して建設されました。小学校自体は明治時代からの長い歴史があるそうですが、廃校時の校舎は1987(昭和62)年の建設。大きな天窓も備わった、明るく開放的な雰囲気です。
▼廃校となった校舎を活用
元々多くの遺跡が存在し、2015年度末に開通予定の北海道新幹線や、高規格道路の建設工事などによって続々と見つかっている遺跡や資料を展示する場として誕生。鶴岡地区は、明治時代に山形県鶴岡市から旧庄内藩士族たちが移住した土地で、移住者たちが使った開墾のための農具や、漁師の道具、縄文時代の土器や石器、明治時代~昭和時代前半に地元の人たちが利用していた古民具などが、「大むかしの木古内」「マチの歴史と発展」「木古内の産業」「人々の生活と文化」の4つの部屋に分けて展示されています。
▼「大むかしの木古内」の部屋
▼「木古内の産業」の部屋(牛乳瓶に牛乳を入れる機械など)
▼「木古内の産業」の部屋(捕った魚を入れてかついだもっこなど)
オープン初日はセレモニーが行われ、町関係者や来賓、地元の人たちでにぎわいました。同町の大森伊佐緒町長は、「人々の生活と文化」の部屋で大きなかごを眺めていた筆者に、「農作業の間赤ちゃんを入れていたかごで、私もこれに入って育ったんですよ」と解説してくれました。
『いかりん館』の名前の由来は?
『いかりん館』の名前は公募で決まり、由来は旧幕府軍の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」+イカリ。1871年に木古内のサラキ岬沖で座礁、沈没した同船のものと推定されるイカリが、資料館のホールに展示され、シンボル的存在になっています。
▼咸臨丸のものと推定されるイカリ。木古内町のキャラクター「キーコ」と
▼咸臨丸の模型
咸臨丸は1857年に造られ、日米修好通商条約批准の際に太平洋横断の偉業を成し遂げた際には、勝海舟、ジョン万次郎、福沢諭吉らも乗船していました。海軍の練習艦としても活躍しましたが、明治維新後は輸送船に。1871年に仙台から小樽へ向かう途中、木古内のサラキ岬沖で座礁、沈没しました。
3歳~80代まで401名が乗船していたものの奇跡的にも全員助かったそうですが、突然の座礁の原因や、救出の過程、その後の経過などは謎だらけとのこと。そんな咸臨丸の歴史が、写真や図とともにパネルで解説されています。
イカリを資料館に搬入する際には、入り口に引っかかって入らなかったというハプニングもあったそうですが、一部入り口を壊して搬入、無事展示することができ、安堵が広がったそうです。
手作りの資料館
いかりん館の学芸員、木元豊さんによると、校舎を資料館にするための補修、外壁工事などは専門業者が入らずに行われ、ショーケースなどもなるべく手持ちのものを使用。手作りした展示台もあるそうです。廃校となった小学校が地元の方々の手によって、地域の歴史を学べる施設として生まれ変わりました。展示されている土器や石器の何百倍もの量が別の場所に保管されているとのことで、少しずつ、展示品を整理、増やしていきたいそうです。「気軽におしゃべりしにくるような存在になってもらえれば。木古内を通りかかった際には、ぜひ立ち寄ってください」と話していました。
▼木古内町郷土資料館
所在地:北海道上磯郡木古内町鶴岡74-1 [地図]
TEL:01392-2-4366
開館時間:9:00~16:00
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合、翌火曜日)、年末年始
入館無料