道内で古い建物と言えば小樽や函館の街並みを連想される方も多いと思うが、釧路エリアにはそういった歴史的建造物と呼ばれるものは過去に取り壊されたりして、残念ながらあまり残っていないのが実情である。
そんな中でも、古き良き昭和を連想させる建物たちをこれから幾度か紹介してみたいと思う。
今回は釧路町にある岩保木(いわぼっき)水門へ向かった。
かつての釧路市街は、毎年のように釧路川水系の氾濫によって大きな水害を受け、街の発展にとって大きな問題であった。
特に大正9年の釧路川洪水は市街一帯が水浸しとなり、これをきっかけとして翌年の大正10年から国の事業による大規模な治水工事が始まる事となる。
その計画とは、釧路川の中流域にある岩保木山の麓に水門を設けて釧路川を分断し、新水路(現在の新釧路川)へ流路を切り替えるものであった。
そして、昭和6年に完成したのがこの岩保木水門である。名前の由来は、アイヌ語のイワ・ポキ(山の下)から。
岩保木水門は、釧路川の流路を切り替えて水害を防ぐだけではなく、釧路川上流で切り出した木材を元の釧路川へ流送する際には水門を開く、という機能も備えていた。
ただ実際には、同じ年に開通した釧網線による鉄道輸送によって木材を釧路川に流送する必要がなくなったため、結局、水門を開く機会はなかったようである。
平成2年には、老朽化によって新たに造られた新岩保木水門にその役目を譲ったが、現在も旧水門は保存され80年以上の間、広大な釧路湿原の傍らで古き良き木造建築の佇まいを残している。
水門は、古びたコンクリートや板壁の木造建屋が当時の姿を残しつつも、細かな維持管理はされているようだ。
広大な湿原をバックに従えて悠然とした姿は、そこに居るだけで昭和初期に戻ったような錯覚を感じる。
水門の手前には同時期に架けたと思われる鳥通橋(とりとうしばし)の朽ちたコンクリート橋もあり、セットで眺めるのもいい。
すぐ横には、蒼い水を湛える釧路川が悠々と流れており、太古の昔から変わらない広大な釧路湿原と阿寒の山々が一望出来る素晴らしい眺めだ。
時折、キタキツネの姿やタンチョウの鳴き声が聞こえたり、岩保木山の山麓を走る釧網本線のSLが遠くに見えるのも雰囲気があっていい。
岩保木水門へは、釧路町遠矢地区から車で約15分ほどで到着するが、冬期間は途中までしか除雪されておらず車高のある4WD車以外で行くのは困難。
私も行く途中で雪のわだちに危うくタイヤを取られそうになり、冷や汗をかいた。
ここは、春から秋にかけても湿原の豊かな自然とマッチした快適な散策が出来るので、その時期に行くことをおすすめしたい。
また、JR釧網本線の遠矢~釧路湿原間の車窓から新旧両方の水門を眺めることも出来る。列車に乗った際は湿原が見える窓側に座るといいだろう。