夏の甲子園が北北海道と南北海道に分かれている理由

毎年夏に兵庫県の甲子園球場を舞台に熱い戦いが繰り広げられる夏の甲子園。正式には全国高等学校野球選手権大会と呼ぶ同大会には、北海道からも2校出場しています。同一都道府県から2枠が与えられているのは北海道と東京都のみですが、なぜなのでしょうか。甲子園と北海道地区大会の歴史を振り返ります。

東北大会から北海道統一大会へ

甲子園に出場できる代表校は原則1都道府県ごとに1校ですが、北海道と東京都は2校が出場し、合計49校が出場します。北海道は北北海道、南北海道に、東京都は東東京都、西東京に分かれています。

現在の夏の全国高校野球選手権が始まったのは1915年。この年、第1回大会が開催されました。北海道の高校が参加したのは第2回大会からでしたが、当時は北海道地区大会はなく、東北大会に出場していました。いずれも本大会出場はありませんでした。

1920年、第6回大会に初めて「北海道大会」が新設されるようになり、北海中が15校出場の大会で北海道代表として初めて出場しました。この時の北海道大会参加校は6で、北海道統一大会は1958年の第40回大会まで続きました。

南北分割へ

しかし、第40回大会の時点で140校あった北海道は、面積が広大で移動距離が長く、移動に負担がかかることから、分割されることになりました。東京都は学校数が多くなったため東西に分割されましたが、北海道は広さを主な理由として分割されました。

北海道は下図のように、道北と道東は北北海道、道央と道南は南北海道となりました。ただし、空知管内(黄色で示した部分)は南北で分断され、空知北部は北北海道、空知南部は南北海道に所属していました。

空知分断時代の北北海道と南北海道のエリア

分割後初となる第41回大会は、南北海道大会に69校が参加し苫小牧東が初出場、北北海道大会には77校が参加し帯広三条が初出場しました。

その後、南北海道・北北海道ともに参加校が増加し、ピーク時で南北海道参加校は1990年・1992年に153校、北北海道参加校は1994年に135校、北海道全体で1992年の293校になりました。

空知南北統一へ

2006年までに南北海道参加校は141、北北海道参加校は117になりましたが、当時の分割方法は、南北海道が札幌支部(石狩)、小樽支部(後志)、函館支部(渡島檜山)、室蘭支部(胆振日高)、南空知支部(空地南部=夕張市・三笠市・美唄市・月形町以南)、北北海道が北空知支部(浦臼町・奈井江町以北)、旭川支部(上川南部・留萌南部)、名寄支部(上川北部・留萌北部・宗谷)、北見支部(オホーツク)、十勝支部(十勝)、釧根支部(釧路・根室)に区分されていました。

当時までは空知地方が南北に分割されており、旧産炭地の過疎化の影響で生徒数が減少、加盟校が減少し、それぞれ10校程度となりました。そのため、運営が厳しい南北空知を統合することになり、2007年大会以降統合された空知支部が北北海道に入ることになりました。

2007年には、南北海道は129校、北北海道が123校となり、ある程度バランスが保たれるようになりましたが、2011年現在、10校の差が生じています。

北北海道・南北海道の区分と主な高校

空知南北統一直後の北北海道と南北海道のエリア
札幌円山球場

南北海道(札幌市円山球場)

「室蘭地区」駒大苫小牧・苫小牧工・鵡川・室蘭大谷・北海道栄
「小樽地区」北照・小樽潮陵・岩内
「札幌地区」北海・東海大四・札幌山の手・札幌日大・札幌藻岩・札幌南・大麻・札幌南・札幌平岸・札幌第一・立命館慶祥・国際情報・尚志学園
「函館地区」函館工・函館西・函館商・函館大有斗・函館大柏稜・知内

旭川スタルヒン球場

北北海道(旭川市スタルヒン球場ほか)

「十勝地区」帯広北・帯広工・帯広農・帯広緑陽・帯広柏葉・帯広三条・広尾
「北見地区」雄武・遠軽・北見緑陵・北見工・北見商・北見柏陽・網走向陽
「旭川地区」旭川工・旭川実・旭川竜谷・旭川大・旭川北
「空知地区」夕張・岩見沢東・岩見沢市緑陵・駒大岩見沢・奈井江商・砂川・滝川西・芦別
「名寄地区」士別・稚内大谷・名寄
「釧根地区」釧路江南・釧路工・釧路北陽・中標津・根室

旭川スタルヒン球場

「北・北海道」「南・北海道」はただでさえ広大ですし、出場校も多い状況です。そんな各地の高校球児たちがあこがれ、目指している球場が南と北では当然違います。「北・北海道」は旭川市にある「スタルヒン球場」。北の地区予選はここで行います。「南・北海道」は札幌市の「円山球場」(麻生もあり)。いずれも北と南の聖地みたいなところとなっています。

北海道高校野球用語として、駒大岩見沢の打線の事をさす「ヒグマ打線」があります。駒大岩見沢の野球が攻撃的であることが特徴で、名づけられています。駒大岩見沢もかつては甲子園に出場しており、その際にたびたび用いられてきた名句です。一方最近好調の駒大苫小牧は、地元名物より「ホッキ打線」とも表されるようになってきています。

北海道勢・夏の甲子園の記録!!

すべての記録を書き綴るのは不可能に近いですから、初戦敗退した高校以外、つまり初戦突破した高校をリストアップしてみましょう。南・北海道と北・北海道の甲子園全記録については asahi.com の甲子園特集、大会データをご参照ください。南というのは南北海道のこと、北というのは北北海道のことです。

1922年(南)北海中1回戦突破、準々決勝で散る
1923年(南)函館商業2回戦突破、準々決勝で散る
1924年(南)北海中1回戦突破、2回戦で散る
1927年(南)札幌一中1回戦突破、2回戦で散る
1928年(南)北海中2回戦と準々決勝突破、準決勝で散る
1931年(南)札幌商2回戦突破、準々決勝で散る
1936年(南)北海中2回戦突破、準々決勝で散る
1937年(南)北海中2回戦突破、準々決勝で散る
1946年(南)函館中2回戦突破、準々決勝で散る
1947年(南)函館工1回戦突破、2回戦で散る
1948年(南)函館工1回戦と2回戦突破、準々決勝で散る
1949年(北)帯広1回戦突破、2回戦で散る
1950年(南)北海1回戦と2回戦突破、準々決勝で散る
1952年(南)函館西1回戦と2回戦突破、準々決勝で散る
1954年(南)北海2回戦突破、準々決勝で散る
1957年(南)函館工1回戦突破、2回戦で散る
1960年(南)北海1回戦と2回戦突破、準々決勝で散る
1962年(南)北海1回戦と2回戦突破、準々決勝で散る
1964年(南)北海1回戦突破、2回戦で散る
1965年(北)帯広三条1回戦突破、2回戦で散る
1968年(北)北日本学院1回戦突破、2回戦で散る
1972年(南)苫小牧工1回戦突破、2回戦で散る
1973年(北)旭川竜谷2回戦突破、3回戦で散る
1974年(北)旭川竜谷2回戦突破、3回戦で散る
1978年(北)旭川竜谷2回戦突破、3回戦で散る
1980年(北)旭川大1回戦と2回戦突破、3回戦で散る
 (南)札幌商1回戦と2回戦突破、3回戦で散る
1985年(北)旭川竜谷1回戦突破、2回戦で散る
1986年(南)東海大四1回戦突破、2回戦で散る
1993年(北)旭川大1回戦突破、2回戦で散る
 (南)東海大四2回戦突破、3回戦で散る
1994年(北)砂川北1回戦突破、2回戦で散る
 (南)北海1回戦と2回戦と3回戦突破、準々決勝で散る
1995年(北)旭川実1回戦と2回戦と3回戦突破、準々決勝で散る
1997年(南)函館大有斗1回戦突破、2回戦で散る
1999年(北)旭川実1回戦と2回戦突破、3回戦で散る
2004年(南)駒大苫小牧優勝
2005年(南)駒大苫小牧優勝(連覇)
2006年(南)駒大苫小牧準優勝(3年連続決勝)

統計

▼優勝:2回(2004駒大苫小牧・2005駒大苫小牧[南・北海道代表])
▼連覇:1回(同上)
▼準優勝:1回(2006駒大苫小牧[南・北海道代表])
▼準決勝で敗退:1回(1928北海中[南・北海道代表])
▼準々決勝で敗退:14回(1995旭川実[北・北海道代表]・1922と1936と1937と1950と1954と1960と1962と1994北海[南・北海道代表]・1931札幌商[南・北海道代表]・1923函館商[南・北海道代表]・1946函館中[南・北海道代表]・1948函館工[南・北海道代表]・1952函館西[南・北海道代表])
▼夏の甲子園出場回数1位:北海の33回(春もあわせると43回)
▼夏の甲子園勝利回数1位:北海の17回(2005年まで)
▼北海道勢夏の甲子園勝利試合:59試合(2005年まで)
▼北海道勢夏春の甲子園勝利試合:92試合(2005年まで)

南北海道代表においては、古くから「北海中」のちの「北海高校」が甲子園に出る機会が多かった。札幌勢と函館勢の出場機会がほとんどで、それ以外の土地から出場できたのは、1959年の苫小牧東、1966年の駒大苫小牧初出場、1969年の三笠、1972年の苫小牧工、1983年の駒大岩見沢といったところ。

最初の頃は出場校も少なかったこともあり準々決勝まで勝ち上がったことが多かったものの、準決勝の壁が大きくそれ以降に進むことができなかった。年たつうちに次第に出場校も多くなり、難関となってきた。いつしか南・北海道勢は初戦敗退が多く目立つようになり、1964年以降は黒星の年が続いた。

一方の北北海道代表においては、南・北海道ほどは強くはない。ちょうど南・北海道代表が甲子園で初戦敗退が続く1960年代から、南・北海道のその穴を埋めるようにがんばってきた北・北海道地区の代表校。1990年代には、旭川実が北・北海道としてはじめて準々決勝に進出したが惜しくも敗れた。そして2000年以降は初戦敗退が続く。

北・北海道地区は旭川勢が多く甲子園に進出する。上にあげた初戦突破の高校だけでもほとんどが旭川の高校。初期の頃は帯広勢が強かったし、釧路勢もいた。たまに北見・網走・芦別あたりからも顔を見せて多彩に富んでいた。それが1990年以降はほとんど旭川勢になった。1990年の中標津、1992年・1994年の砂川北、1998年の滝川西、2001年の帯広三条を除けば、すべて旭川勢となっている。

※注記:昔と今の学校名が変わっているものもあります。「北海中→北海」に、「帯広→帯広柏葉」、「札幌商→北海学園札幌」、「北海道日大→北海道栄」「北海道工→尚志学園」「北海道桜丘→北海道栄」「釧路第一は廃校」「函館市立→函館東」「函館中→函館中部」「札幌一中→札幌南」「赤平西→赤平」