【岩見沢市】4代目JR岩見沢駅は、岩見沢の玄関口にふさわしいデザインの駅舎として2009年3月30日に全面開業した。古レールを保存活用した全国初の岩見沢複合駅舎は高い評価を得、2009年11月にグッドデザイン大賞を受賞した実績も持つ。
そんな岩見沢駅舎には、未来のレールが6本使われていて、いつでもだれでも見ることができるという。一体、どういうことなのだろうか。実際に岩見沢駅舎を訪ねた。
2・3階部分に張り巡らされた古レール
岩見沢複合駅舎の外観は概ね、1階部分はレンガ、2階と3階はガラス張りとなっている。そのガラス面には古レンガが使われている。その総数は、建物を取り囲むように232本。それぞれが縦に、天に向かってのびている。
古レールは道内で実際に使われていたもので、JR北海道が駅舎建設のために道内から集めた。レールには1本1本、製造所、製造年・月、断面形状、重量が刻印されている。ここで使われている最も古いレールは、アメリカ・カーネギー社1900年製のレールで、有明交流プラザのホーム側に2本みられる。日本製で最も古い1910年製レールは、有明交流プラザと駅舎正面に計6本ある。
注目すべき珍しいレールとしては、駐輪場正面にあるラッカワンナ社1922年製レール。これには「OTARU」と最初に刻印されており、陸揚げ港である小樽の名が刻印されているとして、大変希少なレールである。このように、外国製レールが北海道には比較的多く残っている。
●有明交流プラザ:109本(正面46本・西側17本・ホーム側46本)
●岩見沢駅舎:43本(正面のみ)
●駐輪場・南昇降棟:34本(正面のみ)
●北昇降棟:46本(ホーム側7本・正面13本・北側26本)
●日本 1社174本
・八幡製鉄所 174本
●アメリカ 4社29本
・バッファロー社(L.S.Co.BUFFALO) 1本
・テネシー社(OH TENNE SSEE) 13本
・カーネギー社(CARNEGIE) 13本
・ラッカワンナ社(OH LACKAWANNA) 2本
●ドイツ 3社16本
・ライン社(R.S.W) 8本
・ユニオン社(UNION) 7本
・ティッセン社(THYSSEN) 1本
●イギリス 2社5本
・カメル社(CAMMELL.S.STEEL.W) 4本
・ボルコボーン社(BV&CO.) 1本
●国籍不明 8本
2601年・2602年・2604年・2605年の未来のレール
ところで、その中でも、はっきりと2600年代の刻印がなされているレールも見つけることができる。存在するのは下記の場所。2601年が3本、2602年が1本、2604年が1本、2605年が1本、合計6本ある。
(2) 岩見沢駅舎正面、駐輪場側に2601年のレール
(3) 岩見沢駅舎正面、駐輪場側に2604年のレール
(4) 駐輪場・南昇降棟正面、駅舎側に2601年のレール
(5) 駐輪場・南昇降棟正面、駅舎側に2601年のレール
(6) 北昇降棟正面、ホーム側に2602年のレール
いずれも日本製の6本は、未来の製造年を刻印している。
実はこれには理由があった。これらは昭和16年(1941年)~22年(1947年)の間に製造されたとされている。つまり、太平洋戦争の期間を含んでいる。官営八幡製鉄所は戦争勃発したことをうけ敵対的表示を禁止、西暦の使用を避けた。
そこで使ったのが「皇紀(こうき)」。皇紀とは、日本書紀の記述を元に神武天皇即位の年、つまり紀元前660年を元年とする紀元のこと。つまり、2600年代のレールはそれぞれ、皇紀2601年(西暦1941年)、皇紀2602年(西暦1942年)、皇紀2604年(西暦1944年)、皇紀2605年(西暦1945年)となる。戦時下で製造されたレールであることを示しているのだった。
▼岩見沢駅舎隣接有明交流プラザ・ホーム側に展示されているレールに関する説明
長年、北海道の鉄路を支えてきたレール。100年以上も昔に作られた外国製レール。それらは今も鉄道とともに発展した町・岩見沢の駅舎で輝き続けている。岩見沢駅舎をぐるっと歩きながら古レールを探してみてはいかが。