酪農の父、エドウィン・ダン

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 エドウィン・ダン(Edwin Dun)とは、北海道の開拓時代に多大な功績を
残したお雇い外国人の一人です。北海道で主に酪農業に携わりました。
北海道の歴史上、欠かせない人物です。

エドウィン・ダン、北海道へやってくる

 エドウィン・ダン氏は1848年にアメリカ合衆国オハイオ州生まれの男性。
大学卒業後にすでに酪農の仕事についていました。そんな彼が来日したの
は、明治初期の1873年で、当時20代。

 開拓使顧問となったケプロン氏(あの北海道にもやってきたお雇外国人
ホーレス・ケプロンの息子)の勧めを受けて、北海道開拓使が米国の牧場
から購入した乳牛と羊を連れて、また農業用道具を携えて日本にやって
きました。

 やってきた年に明治政府と雇用契約を結び、到着した関東地方にある
東京第三官園にて、畜産業や西洋近代農業、西洋獣医学などの指導を行
い、1875年に北海道へ渡りました。

北海道での活躍

 まず道南の七重官園で酪農を行い、日本人女性と結婚。この近くに赤
松街道が今もあります。翌1876年には札幌南部に真駒内種畜牧場(牧牛
場)
、西部に牧羊場を設置して指導を行いました。後に馬の牧場を新冠
(にいかっぷ)に創設しました。

 これらの農場では、主に牛、羊、馬、豚の飼育技術を伝えました。

○羊:洋服に用いる羊毛のためにメリノ種が飼育され、一時は輸入に頼
りますが、第一次世界大戦後に北海道での羊毛生産が全道各地に広まり
本格化しました。戦後に飼育頭数がピークを迎え北海道に約50万頭に達
しました。つまり北海道の牧羊の基礎を築いたわけです。

○馬:洋種馬と南部馬を交配したりしました。七重では、函館三士の一
人函館大経(はこだてだいけい)の助けを得て馬の改良技術(去勢技術)を
広めました。さらに、北海道育種場に西洋式競馬場を、中島公園に中島
競馬場を建設するよう提案または設計して実際に完成されたりして、日
本競馬発展の始まりとなりました。漁牧場で行っていた馬匹改良は1877
年以降日高地方の新冠(にいかっぷ)牧場にて行うことになりました。こ
れが日高地方、北海道が国内有数の馬産地として成長する始まりとなり
ました。その前の行啓道路が静内二十間道路桜並木というわけです。

○牛・豚:乳牛・肉牛や豚の飼育もされ、牛乳、バター、チーズ、ハム、
ソーセージといった加工食品の製造技術を伝えました。

○農業:農作物試験栽培も行っていました。ビートやホップ、りんごや
ぶどうなど果物の栽培も手がけて、現代の作物の基礎を築きました。馬
を使った洋式大型農業器具使用方法も伝授し、北海道で大規模な農業の
基礎を築いたともいわれています。

○建設:真駒内川、真駒内用水路を建設するように提案して、牧場の家
畜の飲み水確保を行いましたが、この用水路は現在でも残っています。
牧場跡地は今真駒内中央公園でありエドウィン・ダン記念館もあります。

 北海道酪農の父エドウィン・ダンは、約6年半北海道で酪農技術を伝え
た後、1882年12月、北海道を離れて東京へ移動しました。1883年に明治
政府との契約が終了し、1931年に82歳で亡くなりました。