スタートは「負の感情」でも構わない。大切なのは自分のやりたいことを伝えること。

 これまでオンラインイベントとして開催されてきた「ひみつキッチン」。今回ようやく対面によるリアルでの開催が実現しました。12月18日(土)、場所は札幌市中央区にあるカフェ&バー「大人座」。参加者を入れてのトークは、同時にYouTubeでも生配信されます。落ち着いた照明でリラックスムードの中、スタートしました。

 第5回目の司会を担当したのは、第1回目にも登場した札幌オオドオリ大学学長の猪熊梨恵さん。「生涯学習の取り組みをやっています」との自己紹介の後、イベントの趣旨を説明していきます。そしていよいよ、ゲストスピーカーの紹介に移ります。「ブルーチーズドリーマー」という、一風変わった肩書きを持つ、伊勢昇平さんです。

 この日伊勢さんが来ているパーカーは、青色の迷彩柄。「実はこれ、ブルーチーズの断面を迷彩柄にデザインした特注品なんです」という言葉に、一同の興味がグッと引き寄せられます。猪熊さんも「青空と雲だと思ってました!」と意外そう。そんな伊勢さんが掲げたテーマは「200人の村を世界一に~チーズづくりと地域づくり~」。「実は私、ブルーチーズって苦手なんです」という猪熊さんに「そう仰る方が多いんですよね」と伊勢さん。「そういう商品を使って、いかに自分のやりたいことを実現するのか……」と、テンポ良く語っていく伊勢さんに、どんどん会場の期待値が高まっていきます。

ブルーチーズドリーマー 伊勢昇平さん

 まずテーマの中にある「200人の村」というのは、伊勢さん出身の江丹別のこと。もともと愛媛県出身の父親が酪農を目的に江丹別に移住したものの、夏は猛暑、冬は極寒という過酷な自然状況の中、お金もない生活が続きます。旭川の高校に進学した伊勢さんは、ある日の授業で教師から地元江丹別を揶揄され、大きなショックを受けます。しかし元来負けず嫌いの性格ということもあり、このままでは終われない、江丹別を出よう、世界に出ようと奮起するのです。

 世界に出るために、英会話を習いはじめた伊勢さん。するとそこの先生から「世界に出たいというのなら、お前の親父が搾った牛乳で世界一のチーズを作るというのもひとつの手だよ」と言われます。これが転機となり、帯広畜産大学へ進み、さらには共働学舎新得農場でチーズづくりを学んだというから、面白いものです。

チーズ製作中の伊勢昇平さん

 さらに江丹別の気候がフランスのオーベルニュ地方と似ていることを知り、そこの特産であるブルーチーズをつくろうと思い立ちます。文献などを調べて我流でつくったブルーチーズは、なんと大当たり! 10月に試作したものが翌年の3月には販売できるまでになり、その3ヶ月後には国産食材で初めてJAL国際線ファーストクラスの機内食にまで採用されたのです。あまりに順風満帆な経緯に、ここで司会の猪熊さんが思わず「え、チーズづくりってそんなに簡単なんですか?」と言葉を挟むと「いいえ……才能があったんでしょうね」と、伊勢さんはニヤリ。会場が和やかな笑いに包まれます。やがてメディアにも取り上げられるようになり、弱冠24歳だった伊勢さんは「自分の存在価値が示せた!」と、満たされたような気持ちだったといいます。

 しかし人生はそう上手くいくものでもなく、ある日、突如として青カビが生えなくなってしまったのです。出荷を止め、空っぽになった熟成庫で呆然とする伊勢さん。原因を教えてくれる人もいない中、一からブルーチーズづくりを学び直そうと、本場フランスへ修業の旅に出ることに。車でフランス全土を回り、オーベルニュ地方をはじめ、各地のチーズづくりを学んでいきます。

フランスのチーズ工房

 実はこのフランス行きの飛行機の中でも、出会いがありました。CAさんから「ご旅行ですか?」と聞かれ「世界一のチーズをつくるために修業に行くんです」と答えた伊勢さん。わずか数十秒の短い会話でしたが、飛行機を降りる際にCAさんが飛行機のオモチャを手渡してきました。そこには「がんばってください」というメッセージが。

CAさんからもらった飛行機のオモチャ

 帰国した伊勢さんは、再びブルーチーズづくりに取り組みます。そしてできたのが「江丹別の青いチーズ」。念願だった地元江丹別の名を冠したチーズは、徐々に評判を広めていきます。

江丹別の青いチーズ

 チーズづくりも軌道に乗りはじめた頃、伊勢さんはあのフランス行きの飛行機でのエピソードをSNSに投稿します。すると、すぐさま航空会社から連絡が! そうして羽田空港に招かれた伊勢さんは、CAさんとの再会を果たしました。同時に料理長から「国産でこれほどおいしいブルーチーズを食べたことがない」と感激され、今度はANAの機内食に採用されることが決定したのです。

 伊勢さんは語ります。

「たった数十秒の会話でしたが、改めて、自分のやりたいことを他人に伝えるって大事だなぁと思いました。だからこそ、誰かと会う時はブルーチーズ柄の服を着るようにしているんです」……そうやって「僕はブルーチーズドリーマーです!」と発信することが、何かのきっかけとなり得るのでしょう。

 そして現在、伊勢さんにはもうひとつ新たな夢が生まれたといいます。それは「江丹別を世界一の村にしよう!」ということ。厳しい自然環境の過疎の村という弱みを、ブルーチーズづくりの拠点として強みに変えた伊勢さん。江丹別には可能性がたくさんあるから、一緒に何かやりましょうと会う人、会う人に語りかけていきました。すると……。

江丹別へ移住してきた若者の皆さん

 江丹別にレストランを開業した人、パン屋さんをオープンした人、木こりとして生計を立てている人など、なんとこの3年間で18人もの若者が移住してきたといいます。人口200人の村ですから、これは大きな変化です。ここまで話を聞いていた猪熊さんは「伊勢さんって、酵母みたいな人ですね」と感心しきり。「え、酵母!?」と伊勢さんが驚くと「だってブルーチーズって酵母がなきゃ育たないんでしょう?」。この猪熊さんの言葉には、伊勢さんも「なるほど、そうかも」と納得している様子でした。

 伊勢さんの話に興味深く耳を傾けていたYouTubeの視聴者から、チャットで質問が書き込まれます。司会の猪熊さんがチョイスしたいくつかの質問に伊勢さんが答えた後、最後はいつものように「今日のレシピ」としてトークポイントを伊勢さん自身にまとめてもらいました。とにかくエネルギッシュでテンポのいい伊勢さんの語り口に圧倒された約1時間20分。最後は聴衆から拍手が飛び出し、大盛況のうちに「ひみつキッチン」のリアルカフェイベントは幕を閉じたのでした。

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